about

mit

mitの経歴

北海道札幌出身。写真家。

2010年デザイン・フェスタvol.31出展
2011年個展「The Prince Gate」
2012年個展「WE ARE THE ONE」

2012年グループ展「CLOTH TO YOU」
2013年個展「冬灯」
2014年 雑誌「コスプレJapan(発行: ホビージャパン)」インタビュー掲載
2015年グループ展「パンチラ2015」

2015年個展「UNFORGETTABLE」東京、台北、ハノイ開催
(ハノイハロウィンフェスにて審査員、個展でワークショップを開催、またハロウィンフェス優勝者の撮影を担当)
2016年 台湾誌DREAM創夢vol.40掲載(発行: MIN–HSIEN CO.,LTD.)
2016年 写真集「NON-ART Cosplay photography(発行:株式会社 亥辰舍)」掲載、京都国際漫画ミュージアムでグループ展開催
個展「幸せな刃生の終わりかた」東京、台北、ハノイ開催
(ハノイハロウィンフェスにて審査員、個展でワークショップを開催)
2017年 雑誌「コスプレMAKE(発行: 主婦の友インフォス)」インタビュー掲載
個展「あいの徒野から」東京、台北開催

宣材・広告・ジャケット・人物・物撮り・イベント撮影などご相談に応じます。
ディレクション、ヘアメイクも可能です。対応言語は現在日本語・英語です。
お仕事・展示のご相談はContactよりどうぞ。

Photographer born in Hokkaido, Japan.

Exhibitions:
2010, Design Festa vol.31
2011, 1st solo exhibition “The Prince Gate”
2012, 2nd solo exhibition “WE ARE THE ONE”
2012, Group exhibition “CLOTH TO YOU”
2013, 3rd solo exhibition “TOUTOH”
2014, The interview was appeared in “Cosplay Japan” published by Hobby Japan.
2015, Group exhibition “Panchira2015”
2015, 4th solo exhibition “UNFORGETTABLE” Tokyo, Taipei and Hanoi
(Participated as an examiner for Hanoi Halloween Cosplay Festival at the Garden Shopping Center, held a workshop for my exhibition, and had a photo shooting with a winning team for the performing festival.)
2016, The article about “UNFORGETTABLE” was appeared in DREAM創夢vol.40(Taiwaneese magazine)
2016, Published “NON-ART COSPLAY PHOTOGRAPHY”, Held group exhibition “NON-ART” in Kyoto international manga museum
5th solo exhibition “END WELL METHOD” Tokyo, Taipei and Hanoi
(Participated as an examiner for Hanoi Halloween Cosplay Festival at the Garden Shopping Center and held a workshop for my exhibition.)
2017, The interview was appeared in “Cosplay MAKE” published by shufunotomo Infos.
6th solo exhibition “FROM THE GRAVE OF DEAR” Tokyo and Taipei.

Please feel free to contact me if there is anything I can help you with.
For example: exhibition(any countries), portrait shooting(including press kit), still life shooting, advertisement shooting, play performance shooting and so on.
Art direction and hair make-up are also available.
please contact me : mitfolio@gmail.com (English and Japanese are available.)

生まれたてのmit

「へその緒が首に巻きついていた」と母から言われるも、無事に生まれる。

幼稚園のmit

長距離走が大嫌い。すぐ泣く(と、楽な未来が待っているとなんとなく理解できていた)我慢弱い子どもだった。

幼なじみの女の子(名をしずえちゃんと言う)が洋服をきれいに畳めるすごい子だったので憧れる。懐いたmitはめちゃくちゃその子の家に通い、その後も彼女との交流は中学校まで続く所謂「幼なじみ」に。

小学校のmit

小学校では手芸クラブを1年やるもちまちました作業が楽しくなかったのか、翌年からバドミントン部に。
この時初めて手をつけた刺繍を、数十年後進んでやるようになるとは露とも思わないのであった。

小学校4年生の頃、オーストラリアのメルボルンへ。おじいちゃんおばあちゃん2人暮らしだったホストファミリーが第2の家族と言えるほどかけがえのない存在に。ティムタムと言う神の食べ物の味をしめる。美味しいご飯を食べ過ぎてお腹を壊す。

中学校のmit

中学校はバスケ部で青春するつもりが、オリエンテーションを見て器械体操部に入部。

負けず嫌いが火を吹き、2年後半から引退まで部内の月1の大会で優勝し続け、道内でも個人跳馬と団体で1位を取り、生徒手帳に名前が載る。部活に明け暮れた中学生活だった。ちなみに今でも身体は柔らかい。

高校生のmit

1年目にオーストラリアのアデレードへ語学研修へ行く。

この頃からすでに根拠のない自信がある方向音痴のmit、降りるべきバス停を間違える。やめときゃいいのに「こっちだ」と歩き続け2時間迷い続け、最終的に藁にもすがる思いで民家の人に電話を借り、ホストファミリー宅まで送ってもらい号泣する。

圧倒的文系にも関わらず「努力は己を裏切らない」と鼓舞し、やめときゃいいのに2年目に理系へ進む。1年でメタメタにされ3年目には何食わぬ顔で文系の椅子に座っていた。

挫折とはかくも容易い。

アメリカでのmit

高校卒業後アメリカはテキサスへ。この頃チェロをはじめ、韓国でワークショップに参加したりテキサスでプレイズバンドを組んだりと楽しい音楽生活を送る。

テキサスは広かった。でかかった。虫もでかければ食べ物もでかかった。サブウェイのサンドウィッチとポテチの組み合わせが最高だと気づく。ランチドレッシングって言う天国みたいな食べ物、知ってる?

渡米後アパートに電話回線を引きに行くも、契約するため渡された受話器越しに英語でマシンガントークをされなにも聞き取れなかったmit、トラウマになる。「イエス」しかとりあえず言わなかった日本人mit、翌月来た電話代の請求書にはありとあらゆるオプションがつけられていた。

1年で入るのは楽だが出るのは鬼のようにしんどい語学学校を卒業した結果でかい虫にも飯にも慣れ、アメリカのざっくりした生活に順応した立派な「NO」と言えるゴリラに仕上がった。身も心も。

勉強が忙しすぎた結果、アメリカにいたのにテキサスから一歩も出なかった。アメリカは広かった。

その後のmit

上京してヘアメイクの専門を卒業し、そのまま東京に滞在。
その後コスプレを撮影する側になるのをきっかけに写真の世界にのめり込む。デザインフェスタを皮切りに毎年のように個展を開催し作品を発表し続け、写真集を出しながら活動。
写真については追い追いお話できればと思っています。

のちにフリーランスへ。カメラマン、ヘアメイク、ディレクションとあらゆる方向で活動。

いろんな事をして気づいたのは、「写真を作り上げる」て言うのはあらゆる要素が絡み合っていると言うこと。キャスティング、ヘアメイク、スタイリング、撮影のセッティング、それらを噛み合わせるディレクション全てが要素。

それらの調和がよりいいものを生む、と考えているので自分が企画立案、ヘアメイク、カメラ、ポージング指導、衣装製作の知識と経験があることでかなり見える幅が広がりました。知識と実践を多く積むことでできない事知らない事を減らしてより美しいものに仕上げると言う研磨作業ができるようになりました。

広告の現場でタスクの細分化をする重要性は学びました。が、ディレクションをする上でこれらの知識が私にとって大いに役立っているのは揺るぎない事実です。

お仕事のお問い合わせ関してはこちらをご参考ください。

ここまで読んでくださりありがとうございました!好きなキャラクターはスヌーピーです。(毛足が程よく長いぬいぐるみ)こんなわたしですが、よろしくお願いします。